その6~多くの方の知恵と努力がこの施設には生きている~
〇変更案が認められてから化学反応が起きた。
変更案を準備会に報告した。それまで、批判的だったメンバーは柔和になり、建設的な意見が続々出始めた。これが、計画から参加することの意味するところで、この計画や事業を自分のものとして考えることができるようになったと私は思う。その後、道内の他の施設の視察や公開の市民フォーラムの開催で、運営に対する意識が高まってきた。
〇類似施設の委員による視察
地域交流センターの計画では、その位置づけに、広域の周辺施設との関係性を考えた。滝川には大きな1000人規模の市民ホールがあり、奈井江には音楽専門の小規模な250席のコンチェルトホールがあり、それぞれの市町村には多様なホールが建設されていた。砂川の場合は、三井東圧時代の演劇や、市民による多様な活動が行われていた。この施設では演劇をメインに、音楽ホールの役割も持つ500人規模の施設にしようと考えた。ただし、多様な活動が行われることを想定し、移動座席方式を採用することにした。
H15年委員会のメンバーは、鷹栖町のメロディーホール、朝日町のあさひサンライズホール、北広島市の花ホールと各施設を現地で見て運営についてお聞きした。ボランティアがどう運営に係わるかなど、それぞれの施設の担当者は親切に対応してくれた。特にあさひサンライズホールの漢幸雄氏は最後に我々メンバーのバスを手を振って見送ってくれたことが印象に残っている。これは、お客様へのおもてなしの作法なのかもしれない。(実は漢幸雄氏には、「ゆう」の舞台設備について後日助言を頂いた。)
〇市民フォーラムの開催
変更になった基本設計や運営のあり方について、公開のフォーラムを開催し市民へ説明した。中には施設の建設に反対の意見もあったが、色々な意見を頂いた。これは多くの市民の方との貴重な共感の場であったと思う。
〇戦略会議のメンバーの積極的な役割
施設のあり方、市民フォーラムへの出演、運営委員会のあり方等の情報提供や様々な意見交換から、施設づくりは質が上がった。日本でもあまり例のなかった舞台の裏に大きな扉を設け、外部の空間と一体化できる舞台づくりは太田さんの強い提案による。
〇市役所側の協力体制
この駅東部の開発は必ずしも市民の賛同を得ているものではなかった。現に平成14年12月の開発の是非を問う議会審議では共産党の反対があり、平成15年3月には、駅東部開発を遅らせ、病院の長期ベットを確保する福祉政策を優先させる条例制定の直接請求がなされ臨時議会で審議された。否決はされたが、署名した数千の市民の理解は得ていないのは明らかだった。市は、平成15年4月の人事異動で、運営協議会の支援として課長補佐職を専任で配置し、経済的支援として5百万円の事業費を予算化した。また、今後の支援のあり方を検討するため課長職による検討組織も立ち上げた。市民フォーラムの開催など、自治体側の姿勢が市民の意識を呼び、市民の動きが理事者側を本気にさせたことなのかもしれない。
たかすメロディホール
北広島花ホール
あさひサンライズホール
0コメント