その7~砂川駅と地域交流センター~
JR砂川駅は函館本線の駅、「オホーツク2号」と「上り宗谷」を除く特急列車が停車する明治24年7月に開業した。 歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地だった。また、周囲には枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場、軌道用の砂利採取場(昭和37年まで)を抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは国内のみならず満州や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかった。 大正7年上砂川の三井砂川炭鉱の専用線敷設、大正15年跨線橋が設置された。昭和29年に駅舎が改築された後は、貨物、荷物の取り扱いが廃止になり歌志内線、上砂川線が廃止され、鉄道利用が旅客用に限定されたが、駅の利用者は道内では例外的に増えている。
日本のまちは全国的にJRの駅前はまちの顔として商店街が形成されることが多い。大学時代の卒論に私は、「界隈性」をテーマに道内の主要駅の駅前通りをスケッチして、そこにある看板などの調査をしたことがある。年月と共に駅前の風景は変わっていく。にぎわいを創出するのは、外壁のファサード、のぼり、突出し看板、街路灯、電飾などと床の装飾、タイルや雑踏や商店の音や飲食店のにぎわいやにおいなどである。人通りが多いと自然とにぎわった感じがするが、立ち寄るような場所がないと、あまりにぎわいを感じない。(札幌の駅前から大通までの地下歩行空間もそうだが)
まちの界隈性は、にぎあう場所だけにあるのではないが、残像として印象に残るのはその場所の色、形、においがその要素となる。それが魅力的な景観だと思う。
今、この駅東部開発事業で多くの人が地域交流センター「ゆう」を利用する。そして新たに建替えられた私立病院を利用する。多くの人が利用することでにぎわい、店舗などがその商品や装置物に手をかけて、にぎわいを増幅する。そこにはかけがえのない魅力が生じる。いいまちづくりにはこの魅力が必要ではないだろうか。
砂川中心市街地
JR線 国道12号 砂川駅
以前の駅舎
現在の駅舎と自由通路
旧跨線橋(上砂川支線ホーム用)
現在の自由通路
旧跨線橋内部
現在の自由通路
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