その9~NPO法人設立~運営は市民

〇私が、砂川を去ったのは、平成16年4月、道庁の赴任命令で、道建設部へ移動になったが、砂川を離れ、札幌へ帰ってくる前の市議会の委員会で、小黒氏が市長に質問し「なぜ、渡辺を道へ返すのか?どうして引き止めないのか」の質問があり、胸が痛くなった。それは、実は市長からも事前に、慰留されていたこともあったから。自分としては、施設の目途が立ったことで自分の役割が果たせたと思っていた。でも実は後ろ髪をひかれる思いであったことは確か。職員の皆さんからは、送別にと、ソメスの牛皮の財布、小銭入、キーホルダーのセットを頂いた。これは今でも大事に使っている。

〇地域交流センター運営委員会準備会は、平成16年2月に正式に地域交流センターの運営委員会に昇格した。私はこの晩のことは忘れない。運営委員会の設立の場で理事長から感謝の言葉を頂いた。この11人のメンバーが中心になり、この施設の担い手になってくれることを誓約した場であった。私は感謝の念で涙を止めることができなかった。

〇その後、実施設計に基づいて平成16年12月に建設工事が着工され、工事は平成18年10月に完成する。

その間、運営委員会は設立協議会の事務所を平成16年7月に市の開発推進課に設置し、9月から協議会での議論が進められ子供をキーワードにアート研修やワークショップを行い、年間スケジュールやオープン前のプレ事業の取り組みを進めた。それはアドバイザーに委任された太田氏の提案で、施設ができる前に、こども演劇を実践しようとの提案から進められたもので、平成17年2月まで研修を実施。同4月には事務局が教育委員会に移り、平成19年度の自主事業を検討したり、建設現場を視察したりして、ホール・交流・子どもなど各ゾーンごとの自主事業を検討する。6月には建設中の建設現場を見てオープニングの時期やイベントについて意見交換をした。8月には利活用団体の懇談会を開催し利活用計画に反映し、その結果12月に「砂川市地域交流センター管理運営提案書」が市へ提出された。平成18年になり、1月にはNPO法人設立のための準備会が開催され、2月には特定非営利法人ゆう設立総会が開催され、運営協議会メンバーに新たなメンバーが加わり55名で構成された。6月には法人認証を受け事務局が設置された。建設工事は10月に竣工し、平成19年1月7日にオープンすることになる。

〇私はその後、気になり、「ゆう」の建設中、完成式典、など何度かお邪魔させていただいたが、行くたびに、皆さんが集まってくれて、予定の無かった夜会に誘われた。運営に頑張っている姿に感激し、大変幸せな時間だった。

<設計者の説明>

 JR函館本線で分断された駅前の中心市街地を東西に結ぶ自由通路と、地域交流センターのメイン動線である交流スペースを連続させ、一体のまちの軸として施設設計を行った。交流スペースは2層吹き抜けで、施設利用の自由度が高い「パブリック空間」として設計した。また、この「パブリック空間」にホール、研修ゾーン、子どもプレイルーム等を直接連結する明確でわかりやすい空間構成とした。更に、交流スペースやこれらの施設及び外部の広場は、活動に合わせてフレキシブルな展開が図られるよう、可動間仕切りや大型扉で自由に一体化した利用が可能である。 交流スペースの仕上材は、砂川草創期の砂利砕石の歴史を伝える豆砂利洗い出し仕上げとし、旧国鉄上砂川線操車場跡の記憶として、当時使用していたレールを埋め込んだ。 設計段階から文化団体等を中心に市民の利用者を組織化し、ワークショップ等により施設の使い方想定に基づく設計条件の具体化や所要機能の検討など、市民参加による設計を進めた。

工事現場視察


運営委員会


提案書提出


マネイジメント研修


アート研修


地域交流センター外観


大ホール(500人収容)


客席(移動式)


子供ゾーン(図書)


(ワーキングスペース)


小ホール

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